法円寺の歴史
開 基……伊達遠江守老女比企ノ局
1664(寛文4)年 伊達家宇和島藩第4代藩主の御生母、並びに奥方の菩提寺として「妙長山法円寺」は創立されました。日蓮宗総本山身延山久遠寺(山梨県身延町)を本山とする直末寺院です。
墓所内には、伊達家家老 山家家(宇和島・和霊神社で「和霊さま」として祀られる山家清兵衛公)歴代の墓所、「萩森さま(萩森広継公)」の墓所等があり、強いご利益を求めて昔から多くの方々が参拝されてきました。
1946(昭和21)年には境内に「立正保育園」を開設。子どもたちの健やかな成長を見守ると共に「いのちの大切さ」と「感謝のこころ」を大切にする仏教保育を努めています。
日蓮宗では、寒中壱百日(11月1日~翌年2月10日の間)千葉県の日蓮宗大本山、中山法華経寺にある「大荒行堂」にこもり、1日7回の水行と読経三昧の修行を成満した僧侶が、祈祷秘法の伝授を受けて「修法師」(しゅほっし)と呼ばれます。「修法師」の行うご祈祷を修法と言いますが、この修法は木剣修法という祈祷方法で木剣には「南無妙法蓮華経」のお題目と、 法華経の守護神、法華経の経文を書き、念珠を束ねて祈祷肝文を唱え、祈りを捧げます。木剣は魔障をはらい念珠は善神を導く為のものです。
日蓮宗では、寒中壱百日(11月1日~翌年2月10日の間)千葉県の日蓮宗大本山、中山法華経寺にある「大荒行堂」にこもり、1日7回の水行と読経三昧の修行を成満した僧侶が、祈祷秘法の伝授を受けて「修法師」(しゅほっし)と呼ばれます。「修法師」の行うご祈祷を修法と言いますが、この修法は木剣修法という祈祷方法で木剣には「南無妙法蓮華経」のお題目と、 法華経の守護神、法華経の経文を書き、念珠を束ねて祈祷肝文を唱え、祈りを捧げます。木剣は魔障をはらい念珠は善神を導く為のものです。
当山の守護神さまは、本堂正面ご本尊(ご宝前)の右脇座にお祀りされています。当山では、ご守護神様に法華経を供養してご祈祷し、お参りの皆様の守護と、祈願の成就を祈念しております。
大黒天様は、元はインドの戦の神「マカカラ天」が日本に伝わり神道の大国主守(おおくにぬしのみこと)と同体であるとされ、国を守る神様、また、家庭においては家を守る神様として崇拝されています。日蓮大聖人が守護神としてお祀りされておられた事から、日蓮宗では代々守護神として勧請されております。当山の大黒天様は当山3世日員上人により開眼され(約300年前)守護神として御宝前に祀られておりましたが、ご尊像のお姿の傷みが激しく、平成8年に現住職が、3回目の大荒行入行のおりに修復、大荒行堂に於いて、日蓮宗大荒行堂、正伝師、2000日荒行成満の大阿闍梨、永村日鵬上人によって再開眼がなされ当山に遷座されました。各家の「家内安全」「家庭円満」「商売繁盛」の守護神としてお祀りされています。
星座の中で中心とされる、北極星が神格化され、守護神として祀られたことから、「厄よけ」や「海上安全」「商売繁盛」の神様として信仰されています。当山の妙見様は、「能勢の妙見様」として有名な大阪能勢の日蓮宗真如寺の妙見様の御分体姿でお祀りされております。
法華経守護の神様であると共に、子授け、安産、子育ての守護神として、当山には子安鬼子母神・七面天女のご尊像がお祀りされております。「子宝祈願」や「安産祈願」の女性や子どもに関わる守護だけでなく、檀信徒の皆さまが豊かに過ごせますよう日々見守ってくれています。
法華経守護の神様であると共に、子授け、安産、子育ての守護神として、当山には子安鬼子母神・七面天女のご尊像がお祀りされております。「子宝祈願」や「安産祈願」の女性や子どもに関わる守護だけでなく、檀信徒の皆さまが豊かに過ごせますよう日々見守ってくれています。
伊達家家老であった山家清兵衛公、萩森宏綱公を守護神としてお位牌をお祀りしております。山家清兵衛公(和霊さま)は、宇和島の夏の大祭として有名な「和霊大祭」が行われる「和霊神社」の祭神です。伊達家の家臣として産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮しましたが、元和6年(1620)冤罪により処刑され、一家は暗殺(「和霊騒動」)。その後この事件に関与した者が相次いで変死を遂げ、人々は清兵衛の怨霊を鎮める為に「和霊さま」としてお祀りしました。漁業を中心に広く産業の神として崇められ、和霊信仰は今も根強く残っています。
伊達家家老であった山家清兵衛公、萩森宏綱公を守護神としてお位牌をお祀りしております。山家清兵衛公(和霊さま)は、宇和島の夏の大祭として有名な「和霊大祭」が行われる「和霊神社」の祭神です。伊達家の家臣として産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮しましたが、元和6年(1620)冤罪により処刑され、一家は暗殺(「和霊騒動」)。その後この事件に関与した者が相次いで変死を遂げ、人々は清兵衛の怨霊を鎮める為に「和霊さま」としてお祀りしました。漁業を中心に広く産業の神として崇められ、和霊信仰は今も根強く残っています。
当山は、宇和島藩・伊達家の御正室、側室の方々の菩提寺として開山されました。山門を入って庫裡の右手と、宇和島市内を一望できる山(笠松山)に伊達家の墓所があります。①4代藩主村年公御実母(梅香院殿樹栄日桂大姉)②4代藩主村年公御正室(玉臺院殿雲光妙恵日厳大姉)③伊達禅正森光の母君(妙法院殿心月仁恵日光大姉)④7代藩主宗紀公御実母(一雲院殿応照妙普日潤大姉)
②4代藩主村年公御正室(玉臺院殿雲光妙恵日厳大姉)墓所の横には、「戸板口」と呼ばれる墓所があります。いわゆる「山家騒動」の際、一家暗殺された山家家のご遺体は、親しい者たちの手により檀家寺である当山に、ひっそりと運ばれ安置されました。清兵衛公を親しんでいた者たちは彼の死を悲しみ、「和霊さま」としてお祀りされるまでの間、人目を忍んでは戸板口に足を運びお参りされていたそうです。
当山庫裡横の墓地への石段を登るとすぐ右手に萩森様のほこらがあります。文化9年(1812)、藩財政困窮の為、藩が厳しい政策を強行しようとした際、萩森様は下級武士を擁護し、ついには刃傷沙汰に及んでしまいました。その結果、萩森候は判例により、檀寺である当山本堂前で切腹が下されました。しかし、その後、藩庁は彼の進言を取り入れた為、お陰をこうむった下士たちは彼の任侠に感激し、「萩森様」と崇められ信仰されるようになりました。(「萩森騒動」)
また、萩森さまは「眼病平癒」の神さまとしても親しまれ、昔から多くの方がお参りされてきました。
②4代藩主村年公御正室(玉臺院殿雲光妙恵日厳大姉)墓所の横には、「戸板口」と呼ばれる墓所があります。いわゆる「山家騒動」の際、一家暗殺された山家家のご遺体は、親しい者たちの手により檀家寺である当山に、ひっそりと運ばれ安置されました。清兵衛公を親しんでいた者たちは彼の死を悲しみ、「和霊さま」としてお祀りされるまでの間、人目を忍んでは戸板口に足を運びお参りされていたそうです。